郷里の師友・井口喜源治や兄・望月穂一にあてた手紙には、思うように上達しない自身の腕前に対するふがいなさや、芸術の道を自身の天職として決めていたことが表われています。
1899年12月3日 「ナンダカまづくて更に出来申さず実に閉口、之れでも画がやれるかと苦心中」
1900年1月22日 「お恥かしき義」
1900年2月8日 「画は一代の大業 二月や三月でそーうまく行く訳のものならず先づゆっくりやる考に候」
1900年6月27日 「何の仕事でも十年とはよく申せしものに候 とても十年以下では何事も駄目に候」