1910年(明治43)4月22日、荻原守衛(碌山)急逝。
1911年(明治44)新宿の角筈にあった碌山のアトリエを、相馬愛蔵・黒光夫妻そして碌山の渡仏時代の親しい友人であった斎藤与里によって新宿中村屋の敷地内に移築。「碌山館」と名付け、碌山の作品を陳列し一般に公開した。
1915年(大正4)相馬夫妻、次兄荻原本十、碌山の友人たちによって遺作、遺品が碌山の郷里の穂高・荻原家に送られ、長兄の荻原十重十は母屋の南に十坪の平屋を建てて作品を納めた。
1916年(大正5)東京と同じく「碌山館」と名付けて一般に公開。
1953年(昭和28)南安曇教育会に荻原碌山研究委員会が発足。指導者に東京藝術大学助教授の笹村草家人を迎え、調査研究を進める。翌年『彫刻家荻原碌山』上梓。
1955年(昭和30)研究委員会を碌山作品保存会として、作品のブロンズ化と全作品の保全修復が進められる。
1957年(昭和32)財団法人碌山美術館設立委員会が出身地の穂高町、南安曇教育会を中心に組織され、寄附募集を行う。東京藝術大学、東京国立博物館、東京国立近代美術館の協力を得て、美術館建設に着手。荻原生家より石膏原型・絵画・資料が全寄附される。
1958年(昭和33)4月22日碌山美術館開館。