ごあいさつ
高村光太郎(1883-1956)の生誕140年を記念して企画展を開催いたします。 高村は、荻原守衛(1879-1910)にとって最も重要な親友の一人です。ニューヨーク、ロンドン、パリ、東京で交友を重ね、互いに芸術観を高め合った二人は、帰国後、荻原は実作で、高村は評論で、日本のロダニズムの旗手として、日本近代彫刻の潮流を大いに盛り上げました。 高村は、粘土で制作する彫刻家としてばかりでなく、木彫家・高村光雲の長男として生まれた出自ゆえの巧みな木彫家としての側面や、豊かな文芸的創作(評論、翻訳、詩)に見られるような文学者としての側面をも持ち合わせた、たいへん奥行きの深い芸術家です。今なお多くの人々に愛されている詩「道程」(1914)、「レモン哀歌」(1939)が広く知られていますが、芸術の自由を高らかに謳いあげた「緑色の太陽」(1910)のような啓発的な評論、日本人彫刻家のバイブルと呼ばれた『ロダンの言葉』(1916)の編訳等は、日本近代美術界を大いに刺激する文筆活動として高く評価されています。 当館では、2016年、高村の没後60年、高村智恵子(1886-1938)の生誕130周年を記念して多くの関係機関から作品資料をお借りして、高村の彫刻と詩の世界に迫る企画展を開催いたしました。このたびは、収蔵品を中心に高村の芸術を振り返ります。「私は何を措いても彫刻家である」と言った高村の芸術世界に心を馳せていただけましたら、幸いです。 最後になりましたが、貴重な資料の展示にこころよく応じていただきました所蔵者の方々へ感謝申し上げます。
2023年公益財団法人碌山美術館
薄命児男児頭部 1905年
手 1918年
腕 1918年
光雲一周忌記念胸像 1935年
十和田国立公園功労者記念碑のための裸婦像・中型試作 1953年
倉田雲平胸像 1954年
展示作品及び資料
■彫刻 第二展示棟薄命児男児頭部 1905年園田幸吉胸像 1915年裸婦座像 1917年腕 1918年手 1918年老人の首 1925年光雲一周忌記念胸像 1935年十和田国立公園功労者記念碑のための裸婦像・小型試作 1952年十和田国立公園功労者記念碑のための裸婦像・中型試作 1953年倉田雲平胸像 1954年
■直筆詩原稿 第二展示棟『あどけない話』 1928 年『荻原守衛』 1936 年『レモン哀歌』 1939 年『美に生きる』 1947 年
■高村智恵子紙絵 杜江館前後期で入替 前期(7月22日~8月17日) 後期(8月18日~9月10日)
《あじさい》 1937-38年 前期《ザクロ》 1937-38年 前期《パンジー》 1937-38年 前期《桃》 1937-38年 前期《蓮根》 1937-38年 前期《ガラス器》 1937-38年 後期《みやげ》 1937-38年 後期《みかん》 1937-38年 後期《ぶどう》 1937-38年 後期《カーネーション》 1937-38年 後期
■詩集(全て原書) 第二展示棟『道程』抒情詩社、 1914 年『智恵子抄』龍星閣、 1941 年『大いなる日に』道統社、 1942 年『をぢさんの詩』武蔵書房、 1943 年『記録』龍星閣、 1944 年『典型』中央公論社、 1950 年『猛獣篇』草野心平編歴程社、 1962 年
■資料 杜江館『青踏』青踏 社 、 1911 年 高村智恵子表紙挿絵