ごあいさつ
1908年、彫刻家荻原守衛(碌山:1879-1910)が7年に及ぶ留学から帰国した当時、荻原の郷里の先輩、相馬愛蔵、黒光(本名:良)夫妻は、東京でパンや菓子を販売する「中村屋」を営んでいました。本郷に本店を、新宿追分に支店を構え、支店と新宿駅西側(現在の都庁付近)にあった荻原のアトリエとは、歩いて通える距離にありました。信頼を寄せる先輩夫婦の近くで荻原は、午前の制作を終えると中村屋に通い、店の手伝いや子どもの世話をして過ごす日々を送ります。
パリでロダンの薫陶を受け、日本に近代彫刻の幕開けをもたらした荻原の元には、留学期の友人らをはじめ、中原悌二郎や中村彝などの若い芸術家たちが集まり、荻原が通う「中村屋」もその交流の場となりました。荻原を中心に「中村屋」に集った芸術家たちの交流は、文学、演劇へと多方面に広がり、昭和になって「中村屋サロン」と称されました。
1909年7月、「中村屋」の本店が、現在の新宿駅東口に移転したことで、「中村屋」と荻原のアトリエがより近くなります。芸術家たちの交流も一層盛んとなり、荻原の芸術を早くから認めていた友人の高村光太郎は、芽生え始めた新しい芸術観を喜び、これからの美術界の展開に期待を寄せていました。
しかし、その期待も束の間の1910年4月、荻原は、30歳で病に倒れ、突如としてこの世を去ります。翌年、荻原の遺作と資料は、「碌山館」と名付けられた、荻原のアトリエ資材で建て増した「中村屋」の離れ2階に移されます。希望者には遺作と資料を公開し、荻原の芸術は、相馬夫妻や友人たちの理解によって後世の芸術家たちへと引き継がれていきました。
荻原亡きあとも、相馬夫妻は芸術家たちを受け入れ、夫妻の積極的な文化人との関わりによって、中村彝の《エロシェンコ氏の像》や中原悌二郎の《若きカフカス人》などの日本を代表する名作が「中村屋」を縁にして生み出されました。
本展では、当館のコレクションから「中村屋サロン」の芸術家たちの作品をご紹介します。「中村屋」によって育まれた芸術文化をお楽しみください。
2022年公益財団法人碌山美術館
戸張孤雁《足芸》1914年
荻原守衛《こたつ十題 其の一》1910年頃
展示作家および作品
彫刻11点戸張孤雁 《をなご》1910年 《足芸》1914年中原悌二郎 《老人》1910年 《若きカフカス人》1919年 《憩える女》1919年高村光太郎 《裸婦坐像》1916年頃 《十和田湖裸婦像のための小型試作》1952年保田龍門 《臥女》1924年 《裸婦立像》1927年堀進二 《中原悌二郎像》1916年 《中村彝氏頭像》1969年
平面(デッサン、油彩等)(12点)荻原守衛 《こたつ十題其一》1910年頃 《こたつ十題其二(複製)》1910年頃 ※会期中入れ替えます戸張孤雁 《荒川堤》1910年《橋を渡る農婦》制作年不詳柳敬助 《荻原守衛肖像》1910年頃 《千香》1910年頃 《婦人》1910年齋藤与里 《花あそび》1950年 《山峡秋色》1957年鶴田吾郎 《窓辺》制作年不詳 《ネパール国境のヒマラヤ》制作年不詳 《リガ》制作年不詳