1888年
(明治21)10月4日、北海道釧路町に荒物雑貨商を営む中原忠四郎、たきの次男として生まれる。
9歳で旭川町二条通で雑貨商を営む叔父中原茂助の養子になる。
1902年 14歳
札幌中学校に入り林竹治郎に絵を学ぶ。
1905年 17歳
画家を志し出奔、上京する。
1906年 18歳
赤坂溜池の白馬会洋画研究所に入る。中村彝、鶴田吾郎、野田半三などを知る。
1907年 19歳
太平洋画会研究所に移る。
1908年 20歳
中村彝らと荻原守衛のアトリエや中村屋をたびたび訪ねて強い影響を受ける。
堀進二から彫塑用具を借りて胸像を造る。
荻原の夭折を機に彫刻に転じ、新海竹太郎の指導を受けるものの、
写真で見ていたロダンの作風に惹かれる。
1912年 24歳
第4回白樺美術展で初めてロダンの実作を見て感動する。
岡田虎二郎の静坐会に入り、岡田の人格に敬服し熱心に通う。
1914年 26歳
喀血し、療養のため旭川に帰る。この頃ロシア文学に傾倒する。
ドストエフスキーの理想にまで高められた写実を願望する。
1915年 27歳
再上京。
1916年 28歳
日本美術院研究所に入る。平櫛田中、佐藤朝山、石井鶴三と彫塑研究に励む。
第3回再興日本美術院展に《石井氏像》を出品、樗牛賞を受け院友になる。
1918年 30歳
《行乞老人》を出品し、同人となる。
中村屋に寄宿する伊藤信と中村彝の仲立ちで結婚する。
1921年
3月28日、満32歳で没。